創始千四百有余年 播磨の国風土記伝承の宮 播磨国総社 射楯兵主神社

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境内案内
 / THE PRECINCTS INFO
案内図


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 撫でみみづく
 恵美酒社・住吉社
 社 務 所
十二社合殿
 一 ノ 宮
 二 ノ 宮
 日 岡 社
 角   社
 手置帆負社
 彦狭知社
 秋 葉 社
 羽 黒 社
 道 祖 社
 鞍 屋 社
 柿 本 社
 東 照 宮
 西播磨総神殿
 東播磨総神殿
 琴 平 社
 鹿 島 社
 神 明 社
 戸 隠 社
 稲 荷 社
 案内社八幡宮
 粟 島 社
 長壁神社
 姫道天神社
 祖 霊 社
 鬼   石
 厳 島 社
 納 札 所
 手 水 舎

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境内散策
① 撫でみみづく
神使
③ 社 務 所
祈祷受付・お守り授与


② 恵美酒社(えびすしゃ)・住吉社(すみよししゃ)



建築様式
本殿:流造
祝詞殿・拝殿・南北両廂間:妻入両流造
南北昇殿口:唐破風造
昭和32 年4月再建
住吉社と恵美酒社は、2つの神社を1つの社に合わせてお祀りしています。

【住吉社】
御祭神
底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・上筒男命(うわつつのおのみこと)・息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)

御神徳
お祓い、海上安全、豊漁、安産

本 宮
大阪府大阪市の住吉大社

筒男命は、住吉の三神と称えられ、伊弉諾命が禊の際に出現された神様で す。禊は海や川の清水で身をそそぐことから、水の神・海の神・航海や漁 業の神へと信仰が発展していきました。
息長帯姫命は、第14代仲哀天皇の后であり、応神天皇をお生みになった 神功皇后のことです。
住吉大社は、摂津国の一ノ宮でした。

【恵美酒社】
御祭神
蛭児神(ひるこのかみ)

御神徳
商売繁昌

本 宮
兵庫県西宮市の西宮神社

蛭児神は、伊弉諾尊と伊弉冉尊が夫婦となってから最初にお生みになった 神さまです。「ひるこ」は、『日本書紀』には「蛭児」、『古事記』には「水蛭子」 と記されています。
「ゑびす」には、都から遠く離れた未開の土地の人という意味である「夷」 ・「戎」の字も充てられます。
元々は、海の彼方から幸いをもたらす漁業の神でありましたが、やがて商 工業繁栄の守護神ともなり、福の神としての性格も強まっていきました。



④ 十二社合殿 (じゅうにしゃごうでん)
一ノ宮社、二ノ宮社、日岡社、角社、手置帆負社、彦狭知社、秋葉社、羽黒社、道祖社、鞍屋社、柿本社、東照宮の12 の社を合わせ祀っています。明治時代に、現在の形になりました。

建築様式
流造 昭和 28年3月建造
一ノ宮(いちのみや)・二ノ宮(にのみや)
御祭神
鎮座された順番に
一ノ宮には兵主神(ひょうずのかみ)の荒魂(あらみたま)
二ノ宮には射楯神(いたてのかみ)の荒魂(あらみたま)
荒魂とは、神さまの荒々しい側面、荒ぶる魂のことです。荒魂と相対する のが、和魂といい、人々を守ってくれる平和的な優しい魂のことです。 雨には、大地に潤いを与える恵みの雨もあれば、人々に災害をもたらす大 雨もあり、風には、万物を育む風もあれば、台風などの暴風もあります。 荒魂・和魂とは、そのような神の御霊が持つ二つの側面のことです。
日岡社(ひおかしゃ)
御祭神
天伊佐々比古命(あめのいささひこのみこと)

御神徳
安産

本 宮
兵庫県加古川市日岡山麓に鎮座する日岡神社
第12 代景行天皇の皇后である播磨稲日大郎姫命(はりまのいなびのおおいらつめのみこと)が、最初のお産が難産で お苦しみになられたため、次に皇后が身ごもられた時に、天伊佐々比古命 が7日7夜、祖神に安産を願い、無事双子の皇子を安産されたことにより、 安産の守り神といわれるようになりました。双子の皇子のお一人が、日本 武尊(やまとたけるのみこと)です。
また、天伊佐々比古命は、桃太郎のモデルである吉備津彦と同一神とされ ています。
角社(すみしゃ)
御祭神
級長津彦命(しなつひこのみこと)
級長戸邊命(しなとべのみこと)

御神徳
風、天候、五穀豊穣

級長津彦命・級長戸邊命は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の吹き放った息吹から生まれた風の 神さまです。風は稲作に欠かせません。そこで、各地で暴風を鎮めるため に風の神さまが祀られるようになりました。
江戸時代には境内に「角の宮」があり、中世には姫山の鎮守として「角社」 「角岳社」などがありました。古代に播磨大領・角野氏が祀った神社と考え られます。角野氏の系譜を引くとされるのが、江戸時代の町人頭・国府寺 氏です。
手置帆負社(たおきほおひしゃ)
御祭神
手置帆負神(たおきほおひのかみ)

御神徳
土木、建築

手置帆負神は、彦狭知神(ひこさしりのかみ)と同様に太玉命(ふとだまのみこと)が従えた5柱の内の1柱です。 天照大神(あまてらすおおみかみ)の天の岩戸隠れのとき、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の指示により、天御量という 尺度を測る道具を使って、彦狭知神と共に木を切り出し、宮殿と御笠を造 った神さまです。後に、笠縫職人として出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)の祭祀に仕えたと されています。
上棟祭のとき、建物の神さまである屋船久久能遅神(やふねくくのちのかみ)・屋船豊宇気姫神(やふねとようけひめのかみ)など と共に降神され、棟札にこの神名が記されます。
彦狭知社(ひこさしりしゃ)
御祭神
彦狭知神(ひこさしりのかみ)

御神徳
土木、建築

彦狭知神は、手置帆負神(たおきほおひのかみ)と同様に太玉命(ふとだまのみこと)が従えた5柱の内の1柱です。 天照大神(あまてらすおおみかみ)の天の岩戸隠れのとき、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の指示により、天御量という 尺度を測る道具を使って、手置帆負神(たおきほおひのかみ)と共に木を切り出し、宮殿を造った 神さまです。後に、盾を作る職人として出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)の祭祀に仕えたと されています。
上棟祭のとき、建物の神さまである屋船久久能遅神(やふねくくのちのかみ)・屋船豊宇気姫神(やふねとようけひめのかみ)など と共に降神され、棟札にこの神名が記されます。
秋葉社(あきはしゃ)
御祭神
軻遇突智神(かぐつちのかみ)

御神徳
鎮火、防火の神

本 宮
静岡県の秋葉山本宮秋葉神社
軻遇突智神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の神生みの最後に生まれた神さまです。 火を司る神さまで、生まれる際にこの神さまの火による火傷が原因で伊弉 冉尊は亡くなってしまいます。直後、怒った伊弉諾尊に切り殺され、その 死体や血から、様々な神さまが生まれました。
鹿島社の御祭神・武甕槌神(たけみかづちのかみ)もその1柱です。
羽黒社(はぐろしゃ)
御祭神
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

御神徳
五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、子孫繁栄

本 宮
山形県の出羽神社
倉稲魂命は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子で、穀物の神、特に稲の穀霊とされ、全国に 多数祀られる稲荷神社の御祭神です。
稲荷は「稲生」(いねなり)が転化して「いなり」となったとされています。また、米 一粒が何倍にも殖えるようにと、殖産の神として崇められたことから、商 売繁昌の神ともなり、多くの会社・商店などに祀られています。
羽黒は東北出羽三山の一つ羽黒山から来る名前で、羽黒山の出羽神社には 伊氐波神(いではのかみ)と共に倉稲魂命がお祀りされています。
道祖社(どうそしゃ)
御祭神
岐神(ふなと(ど)・くなと(ど)のかみ)

御神徳
疫病退散、除災

岐神は、疫病や災害などをもたらす悪神が、集落に入るのを防ぐとされる 神さまで、後に中国から伝来した道の神である「道祖」と習合したとされ ています。
姫路市内の土地利用変更に伴って、市内各所に祀られていた神社が当社へ 遷座された例は多く、この道祖社も明治42年9月7日に姫路市同心町にあ った塞神社が当社へ合祀されました。古くから「道辻の社」として特別の信 仰を集めていた社でした。
鞍屋社(くらやしゃ)
御祭神
保食神(うけもちのかみ)

御神徳
五穀豊穣、商売繁昌

保食神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟の月夜見尊(つくよみのみこと)を接待する際に、口から吐き出した食 べ物でもてなそうとしましたが、月夜見尊の怒りに触れ、殺されてしまい ます。保食神の死体から、五穀の種子や牛、馬、蚕などのあらゆるものが 生まれました。このことから五穀豊穣のご利益があるといわれ、また、牛 や馬の神さまであるともされます。 
このお社が鞍屋社と呼ばれるのは、牛や馬につける鞍から由来すると考え られています。
柿本社(かきのもとしゃ)
御祭神
柿本人麿公(かきのもとのひとまろこう)

御神徳
学業成就、防火、安産

本 宮
兵庫県明石市の柿本神社
柿本人麿(人麻呂)公は、歌聖として知られ、天武・持統・文武天皇朝 (673~707年)に歌人として宮廷に仕えました。生没年不詳。 「万葉集」「古今和歌集」などの歌集に、400首近い歌が載せられており、 和歌の神さまとして信仰されています。
また、「人丸(ひとまる)」とも呼ばれることから、「火止まる」「人生まる」 に通じるため、防火・安産の神さまとしても信仰されています。
東照宮(とうしょうぐう)
御祭神
徳川家康公(とくがわいえやすこう)

御神徳
家門繁栄、子孫繁栄

本 宮
栃木県の日光東照宮
徳川家康公は、元和元年(1615)大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼしたのち、 翌年4 月に没しました。遺言により同夜のうちに久能山に遺体を移し、現 在の久能山東照宮に神葬されました。元和3 年4 月、日光山に社殿を建て 改葬しました。その場所が、現在の日光東照宮の元になったといわれてい ます。
江戸時代には徳川御三家や有力大名をはじめ、多くの大名が家康の偉勲 を称え、競って東照宮を建立しました。 総社の東照宮も、その一つと考えられます。


⑤・⑥ 播磨国総明神を祀る
 東播総神殿・西播総神殿
安徳天皇養和元年(1181)、播磨国内16郡の大小明神174座(太神 24座、小社150座)を射楯兵主神社に合せ祀ってより、「播磨国総社」 といわれるようになりました。(『播磨国内鎮守大小明神記』) 現在は、播磨国総明神を東播磨総神殿と西播磨総神殿にお祀りしてい ます。
東播磨総神殿には、東播磨8郡大小明神が祀られ、西播磨総神殿には、 西播磨8郡大小明神が祀られています。

建築様式
流造 流造 昭和28年3月再建

西播磨8郡
神西郡、飾東郡、飾西郡、揖東郡、揖西郡、宍粟郡、佐用郡、赤穂郡

東播磨8郡
明石郡、美嚢郡、多可郡、賀茂東郡、賀茂西郡、賀古郡、印南郡、神東郡



太神24 座

※不明太神4座:早風太神・事玉太神・広位太神・太家太神
参照『播磨明神記』(荒木昌彦著)


西播磨8郡と比定地
  • 飾東郡:姫路市(東部)
  • 飾西郡:姫路市(西部)
  • 揖東郡:姫路市の一部・たつの市(東部)・揖保郡太子町
  • 揖西郡:たつの市(西部)・姫路市の一部・相生市の一部
  • 赤穂郡:赤穂市・相生市・赤穂郡上郡町・たつの市の一部・佐用郡佐用町の一部
  • 宍粟郡:宍粟市・姫路市安富町・佐用郡佐用町の一部・たつの市の一部
  • 佐用郡:佐用郡佐用町
  • 神西郡:神崎郡福崎町の一部(市川以西)・同郡市川町の一部(市川以西)同郡神河町の一部・姫路市香寺町・朝来市の一部
東播磨8郡と比定地
  • 明石郡:明石市・神戸市(西区・垂水区・須磨区の一部)
  • 賀古郡:加古川市(南東部)・加古郡・高砂市(高砂町・荒井町)・明石市(二見町)
  • 美嚢郡:三木市・神戸市(北区淡河町)
  • 神東郡:神崎郡・福崎町・市川町(市川以東)・同郡神河町の一部・姫路市(北東部)
  • 多可郡:西脇市・多可郡多可町・神崎郡神河町の一部
  • 賀茂東郡:小野市・加東市
  • 賀茂西郡:加西市・西脇市の一部・多可郡多可町の一部
  • 印南郡:加古川市の一部・高砂市・姫路市の一部


⑦ 琴 平 社 (ことひらしゃ)



建築様式
流造破風付
昭和38年10月再建
御祭神
大物主神(おおものぬしのかみ)

御神徳
五穀豊穣、航海守護、漁業安全

本 宮
香川県の金刀比羅宮

大国主命(おおくにぬしのみこと)は国造りの終盤、協力者の少彦名命(すくなひこなのみこと)が常世国に渡ってしまい、一 人では完成できないと嘆いていました。すると、大物主神が海を照らして 来られ、「私を倭の国の青々した山々の、東の山に祀りなさい」とおっしゃ いました。そこで、御魂を三輪山に祀り、無事に国造りを終えられました。 江戸時代、海運業者や商人によって金毘羅信仰が全国に広められ、金刀比 羅宮の分社が各地に祀られました。


⑧ 鹿 島 社(かしましゃ)



建築様式
本殿:流造 拝殿:入母屋造
昭和24年8月再建
御祭神
武甕槌神(たけみかづちのかみ)

御神徳
必勝、一願成就

本 宮
茨城県の鹿島神宮

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、火の神である軻遇突智神(かぐづちのかみ)を十拳の剣で斬り殺したときに出た 血より生まれた神さまです。葦原中国(あしはらのなかつくに)の平定において、経津主神(ふつぬしのかみ)と共に降 り、地に剣を突き立て、大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りを迫る神さまです。
また、神武天皇が東征の途上で困難に直面したときに、自分の剣「韴霊」(ふつのみたま) を授けて助けたともいわれています。 鹿島神宮は、常陸国の一ノ宮でした。


⑨ 神 明 社(しんめいしゃ)



建築様式
本殿:神明造 上屋:神明造
昭和23 年10 月建造
伊勢神宮のご正宮の建築様式。神社建築の最も古い形とされ、切妻・平入り・堀立柱・高床式が特徴。
御祭神
天照大神(あまてらすおおみかみ)
豊受大神(とようけのおおみかみ)


御神徳
国土安泰、五穀豊穣

本 宮
三重県の伊勢神宮

天照大神は皇室の御祖神(みおやがみ)であり、日本人の大御祖神(おおみおやのかみ)です。八百万の神々の 中で最高位の神さまであり、太陽を司る女神です。
豊受大神は生命の糧である食べ物を司る御饌都神(みけつかみ)で、天照大神のお食事を 司る神としてお祀りされています。
全国には約5000社の神明社があり、これは神社の中で2位の数となって います。伊勢信仰が盛んになるにつれて、各地で祀られるようになりました。


⑩ 戸 隠 社(とがくししゃ)



建築様式
流造
昭和38 年8月建造
御祭神
手力雄神(たぢからおのかみ)

御神徳
国土安泰、武芸上達

本 宮
長野県の戸隠神社

手力雄神は手の力を意味する神で、天岩戸(あめのいわと)神話において思兼神(おもいかねのかみ)の策略によ り、長鳴鳥(ながなきどり)を鳴かせ、祝詞をあげて天鈿女命(あめのうずめのみこと)が踊って騒いでいるのを天照 大神(あまてらすおおみかみ)が不思議に思い、岩屋の戸を細く開けて外を窺った時、天照大神の手 を取って引き出された神さまです。
開運・心願成就・五穀豊穣・スポーツ必勝などの神さまといわれています。 天岩戸開きの際、放ち投げた戸が信州戸隠山に留まったと伝えられており、 長野県に鎮座する戸隠神社に、主祭神として祀られています。


⑪ 稲 荷 社(いなりしゃ)



建築様式
流造
昭和28 年4月
三ツ山大祭門上殿を安置
御祭神
倉稲魂命(うかのみたまのかみ)

御神徳
五穀豊穣、商売繁昌、家内安全、子孫繁栄

本 宮
京都府の伏見稲荷大社

倉稲魂命は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子で、穀物の神、とくに稲の穀霊(こくれい)とされ、全国 に多数祀られる稲荷神社の御祭神です。米一粒が何倍にもふえるようにと、 殖産の神として崇められ、商売繁昌の神として多くの会社・商店などに祀ら れています。和銅4年(711)2 月7 日に稲荷山に鎮座されたと伝えられ、 この日が2 月に入って初めての午の日であったことから、初午祭(はつうまさい)が重要な 祭日とされています。
総社の稲荷社は、藤井稲荷・千早稲荷・白長稲荷・瑜珈稲荷を合祀してい ます。


⑫ 案内社八幡宮(あんないしゃはちまんぐう)



建築様式
本殿:流造
渡殿:切妻造
拝殿:入母屋造
昭和23 年12 月移設
案内社八幡宮は、案内社と八幡宮というそれぞれ別の神社を一つに合わせたお社です。

【案内社】
御祭神
猿田彦神(さるたひこのかみ)

御神徳
交通安全、開運(みちひらき)海上・国土の守護

本 宮
三重県鈴鹿市の椿大神社、同県伊勢市の猿田彦神社

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が葦原中国(あしはらのなかつくに)に下るとき、分かれ道で猿田彦神が待ち受けていまし た。天鈿女命(あめのうずめのみこと)の問いに、「私は天照大神の皇子が天降られると聞き、お迎え に上がりました」と答え、葦原中国までの道を案内してくれたそうです。 猿田彦神は、とても鼻が高く長身で、目が輝き赤いほおずきのようであっ たことから、天狗の原型になったといわれています。


【八幡宮】
御祭神
誉田別命(ほんだわけのみこと)

御神徳
厄除、家内安全、武運長久

本 宮
大分県の宇佐神宮

誉田別命は、第十五代の応神天皇で、仲哀天皇と神功皇后の間に生まれま した。応神天皇は日本に新たな文化や産業などを海外から取り入れました。 鎌倉時代以降は、武運長久の神さまとして崇敬を集めました。


『姫路名所案内』には、桓武天皇の延暦18年(799)に勧請、旧岐阜町に鎮 座(現在の美術館辺り)、「代々の城主の尊敬浅からず」とあります。


⑬ 粟 島 社(あわしましゃ)



建築様式
流造
昭和28 年4月
三ツ山大祭門上殿を安置
御祭神
少彦名命(すくなひこなのみこと)

御神徳
安産、医薬、酒造

本 宮
和歌山県和歌山市加太の淡嶋神社

少彦名命は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の子で、大国主命(おおくにぬしのみこと)が美保の辺(島根県松江市美保関町) にいたときに船で漂着しました。大国主命と力を協せ国造りをしますが、 国造りの途中で、出雲国熊野の御崎より常世国(とこよのくに)に行ってしまいました。
農業の神・医薬の神・温泉の神・酒造の神などとして信仰されました。 大変小さい神様で、一寸法師説話のもとになったとも考えられています。


⑭ 長壁神社(おさかべしゃ)



建築様式
本殿:神明造
祝詞殿:神明造
拝殿:入母屋造
昭和30 年2 月再建
御祭神
姫路刑部大神(ひめじおさかべおおかみ)・富姫神(とみひめかみ)

本 宮
古くは兵庫県姫路市の姫山に祀られていました

刑部大神は、天武天皇の皇子、刑部親王(おさかべしんのう)のことともいわれますが、諸説あ り、江戸時代には光仁天皇の皇子・他戸親王とする説などが信じられてい ました。
姫路刑部大神と播磨富姫明神は、鎌倉時代初期編纂とされる『播磨国内鎮 守大小明神記』に見えます。古代より姫山に祀られ、地主神とされてきま した。

■鎮座地の変遷
羽柴秀吉の姫路城築城時に姫山より「町はづれ」に移し、ご神体を紛失。

  • 天正11年(1583):京都の吉田神社に申し出て鎮札の発行を求め、総社に遷座
  • 慶長17年(1612):姫路藩主・池田輝政のとき、城内に遷座
  • 寛永16年(1639):姫路藩主・松平忠明のとき、再び総社に遷座
  • 慶安2年(1649):姫路藩主・榊原忠次のとき、城内に改めて社殿を再興この時より城内・総社の二社となる
  • 寛延元年(1748):姫路藩主・松平明矩のとき、正一位に封ぜられる
  • 明治4年:姫路県が城内の長壁社を県社に列格
  • 明治5年:飾磨県が城内の長壁社の県社を廃す
  • 明治12年9月:城内の長壁社を、富姫社とともに元塩町の総社附属地に遷座(城内に第4師団配下の歩兵第10連隊鎮営所が設置されたため)
  • 大正2年:総社の長壁社を合祀
  • 昭和2年:国道建設に伴い、総社境内に遷座、富姫社も合併移転し、現在に至る


⑮ 姫道天神社(ひめじてんじんしゃ)



建築様式
流造 昭和 38 年7月再建
御祭神
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

御神徳
受験合格、学問成就、武芸上達

本 宮
福岡県の太宰府天満宮、京都府の北野天満宮

姫山(鷺山を含む)に祀られていた天神社です。
御祭神の道真公は、宇多天皇の信任を得て、藤原氏の勢力を抑えるため 重用されました。醍醐天皇の時、左大臣藤原時平と並び右大臣として活 躍します。しかし、延喜元年(901)、藤原時平の嘘の告発により太宰府 に左遷されました。延喜3年(903)59才で道真公が亡くなると、都で は天災が続き、宮中の清涼殿に落雷し死者が出るなど、災厄が続いたと されます。京の人々は道真が怨霊となって祟りをなしたものと恐れました。
御霊信仰と結びつき、天神様として祀られるようになりました。道真公の 御廟所(墓所)に建てられたのが、福岡県に鎮座する太宰府天満宮です。 そして、道真公が亡くなってから約40年後に、その神霊を京都に祀った のが、京都市上京区に鎮座する北野天満宮です。 後には、学問の神様として信仰を集めました。


⑯ 祖 霊 社(それいしゃ)



建築様式
神明造
昭和23 年12 月
招魂社本殿を遷す
御祭神
児島範長朝臣(こじまのりながあそん)
維新の志士12柱
日清・日露戦争の英霊121柱

御神徳
国家安泰、立身出世

明治元年、政府から、国のために戦い、亡くなった人々の霊を合祀する旨 の布告があり、各藩に招魂社などが建立されていきました。姫路の人々は、 後醍醐(ごだいご)天皇の挙兵に応じて元弘の乱で戦い、姫路で自害した児島範長朝臣 をお祀りしようと政府に許可をとり、明治4年に祀りました。併せて、維 新の志士の8柱が祀られ、明治38年に4柱が合祀されました。明治4年 の創建当時は、神門の外南東の位置(現在の「三日潮」入り口辺り)にお祀 りされていました。
維新の志士12柱(表記は諱(いみな)による) 河合宗元、萩原政興、江坂行厚、伊舟城致美、松下綱光、市川久明、 河合宗貞、江坂行正、河合良幹、境野意英、秋元安民、永田伴正


⑰ 鬼 石(おにいし)



鬼石とは、源頼光が大江山の鬼を退治して持ち帰り、その首を埋めた標として置かれた石といわれています。[※江戸・明治時代は平井(藤原)保昌が鬼退治 をしたとされています。]
「聖徳太子の腰掛石」という伝えもありました。
諸説ありますが、明治時代に総社境内に移転されたと考えられます。

総社では、鬼石の前で御幣で自らをお祓いし、御幣を鬼石に向かって投 げ込む厄落としの神事を執り行っています。


⑱ 厳 島 社(いつくしましゃ)



建築様式
流造
昭和28 年5月
古二階町が建立し奉納
御祭神
市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)

御神徳
海上安全、水難除け、豊漁、諸芸上達

素戔嗚尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまのはら)に上り、自らの心を示すため、天照大神(あまてらすおおみかみ)と誓約を行います。 この時、天照大神が素戔嗚尊の十拳の剣を噛み砕いて生んだ三女神(市杵 嶋姫命・田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと))の中の一柱です。
市杵島姫命は、七福神の一人である弁天さんと習合し、美や芸能の神とし て広く庶民の信仰を集めるようになりました。
⑲ 納 札 所
古いお札お守りを納める
⑳ 手 水 舎
手や口を清める
拝 殿 遠 景

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