社紋について
播磨国総社の社紋
現在、当社の社紋は丸い紋が併せ重なり出来ているとされています。祭神が二柱であるため、二つの丸い紋がそれぞれご祭神を表すと思われがちです。真実は明らかではないが言い伝えが残っています。
昭和二十年七月の姫路大空襲により、重要古文書等が全て焼失したため記録は残っていませんが、古参の神職の口伝によると、元々当社の社紋は「三つ巴」であったとされます。
室町時代になると、この土地を治めていた時の守護職の赤松家が、当社の祭礼、神域の整備に力を注ぎました。
特に嘉吉元年(一四四一年)には先勝祈願を併せ天神地祇祭を斎行。これを皮切りに、梵鐘の寄進(現在は幸せの鐘と呼ばれています。江戸時代には姫路城下に時を告げる鐘として活躍)されました。大永二年(一五二二年)には神前に三基の山を置き、三ツ山大祭の原型の祭礼を行いました。
この功績をたたえ、赤松家の家紋である「二つ引き」を「三つ巴」と併せ社紋とし、赤松家に敬意を表して「丸に三つ巴」の上に重ねて「丸に二つ引き」を置いたと伝わっています。